2020年8月8日土曜日

PROMARE

プロメアを見ました。

「ほほう、これがあの『滅殺開墾ビーム』ですか…。」
という感じで。

同じ脚本家のBNAを見てたので、クレイはバーニッシュなんやろなってソッコーでなった、てか話もめちゃめちゃ似てたね。あまりに同じでびっくりしちゃった。でも作家性ってそういうもんなんかもな。

BNAの方がお金かかってそう。プロメアの方がシンプルだった。映画で短いしね。

とにかくアクション!変形だの戦闘だのたっぷり見せ、話は説明セリフで一気に畳み掛け。セリフは語呂の良さ、テンポの良さが重視されてて。コッテコテだな~!

バーニッシュでありながらバーニッシュを虐げるプロメアのクレイ、獣人でありながら獣人を虐げるBNAのアラン、小野ほりでいさんが書いていたnoteのことを思い出した。

https://note.com/onoholiday/n/nbf007a71dfa4

アニメでは強調されて描かれているけど、擬似的に再現された「強い心」と誰かを犠牲にし続けなければならない状況って、本当に珍しくないことで逆に忘れがちだし、自分もそうだなって思っている。簡単に抜け出せるものではない。

私は以前、あるオンラインゲームで、長く居たギルドを抜けたことがある。他のギルドの人に対する陰口が多かったからである。ギルドでは周りに溶け込みたかったし、私も陰口の内容に同意する書き込みをしていた。自分は陰口を言われている人にも共感するけどなって思いながら、ウンウンそれは良くないよね~とか。

発言した内容が自分を蝕んでいく感覚があった。言えば言う程、自分はそれに当てはまらない上位存在であるかのように錯覚するんだろうな、自分はそうなりたくない、それは浅ましくて愚かで恥ずかしいって思ったから抜けた。

陰口を言うことにも、陰口を言うグループを抜けることにも、「否認された自らの汚点が他人に投影されて汚らわしく映り、自分はますます潔白な存在に書き換えられる感覚」があると思う。

起きてしまったことに向き合い、受け容れ、健全に消化するなんて出来るのかな。出来たことないから分からん。全ての辛い記憶がトラウマになっていて、よく苦痛で声を上げるし、すぐに楽になりたいし、つい他人を批判してしまう。

そんなことを思う作品だった。プロメア。心の元気な時に見たいやつだ。もう久しく元気な時はないので開き直って色々見てるけど。

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そうそう、古田新太さんの声のロボットが竹馬乗ってて、この前のポポロ~ナル笛~のイベントで出てきたガミガミ魔王の竹馬ロボ、もしかして中の人ネタかな?ってなった。ゲーム版のガミガミ魔王の声は古田新太さんではないねんけどね。
もしかして私が知らないだけで竹馬ロボという概念は珍しくないとかあるのかな?

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